品川区・清光院の看板での「初代定昌」なる記述について


下記の記事の続きである。

質問をしておいたところ、当該部署から、丁寧なお返事の電話があった。どうもありがとうございました。その要点をメモする。

1)「寛永諸家系図」という本がある(1641年)。そこには、奥平信昌のことしか出ていないそうだ。つまり奥平「貞昌」も「定昌」も出ていないらしい。

2)他方で、その後作成された「新編藩翰譜」という本(1702年)には、「古記に見る」ということで、「貞昌」ではなくて「定昌」と書かれたこともあった、と出ているということだ。なぜなら、奥平信昌の改名前は、貞昌だったが、その曽祖父も貞昌だった。このため、混乱を避けるため時に、後の方の貞昌を定昌と書いたことがあった、という記述があるという。

これで思い出すのが、「寛政重修諸家譜」のことだ。これの奥平氏に関する部分コピーなら持っている。私は加納藩主となった大名の家系全員のコピーを持っているのだが、残念ながら奥平氏のものだけは見つからない。展示に使ったため、戻してなかったようだ。しかしクロスチェックはできると思われる。

ただ、いずれにしても奥平信昌を、この品川区の説明板において、「美濃で10万石」と書くのであれば、信昌と書けば良いのではないか。その25年も前の、改名前の名前を、しかも二説あるものを、わざわざ使う必要はない。ストレートに単純に「初代信昌は」と書くだけで良いのではないか。この点についてはおそらく、担当者も同意していただいたのではないかと思う。

ただ、すぐには改訂できない。次回の改訂時には参考にしていただけるとのことだった。丁寧なご対応を感謝している。そして新たな情報源「新編藩翰譜」を教えてもらって、良かったと思っている。ありがとうございました。


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