加納藩の歴史気候学


加納の郷土史に関する、とある講演で、歴史気候学という言葉を聞いた(*)。古気候学なら聞いたことがあったが、歴史気候学は初めて聞いた。以下それについて雑感を記す。

歴史気候学というと、歴史地理学を思い出す。xx◯◯学、という言葉は、xx的な◯◯学という意味である。気象・気候のデータがあれば、歴史気候学も単なる気候学なので、データがない時代の気候学である。この意味で歴史気候学は古気候学と、ほぼ同じ意味で使われるらしい。歴史学ではないことに注意を要する。

例えば、江戸時代の初期、1645年から1710年までの65年間は、全地球規模で寒かったことが知られている。小氷期だったとされる。この寒冷期は、太陽黒点が消滅したマウンダー極小期に対応することも知られている。

他にも様々な、一応は再現性がある、科学的と思われる方法で、昔の平均気温を推定することができる。例えば、樹木の年輪の間隔を見て平均的な温暖あるいは寒冷などを調べることができる。他にも有名な方法に、南極の氷を過去にわたって採取し、そこでの酸素16と酸素18の比率(同位体比)を調べることで、平均的な温度が分かる、という方法があってよく知られている。

さて、歴史気候学の観点から言って、例えば江戸時代の加納藩では何か特筆すべきことがあったのだろうか。

加納藩でも、江戸時代に起こった地球規模の寒冷化に伴う、全国的な飢饉や一揆にシンクロして、様々な事件が起こっているに違いない。郷土史の分野でも、こういう歴史気候学的な研究は面白いかもしれない。なぜなら意外に誰も調べていないかもしれないからである。

以下は、生成AIのGemini 2.5Flashに聞いて得た、歴史気候学(古気候学)の気温推定方法である。

プロンプト:古気候学または、歴史気候学という分野があります。ここでは、温度計が発明される前において、地域の気候あるいは地球の平均気温などの気候について、情報を得ようとする分野です。さて質問は、古気候学または歴史気候学という分野で、昔の気温はどのような方法で推定されているのでしょうか。多くの異なる方法が使われていると思います。それらの推定方法を列挙した上で、その長所と短所を教えて下さい。

(回答の冒頭部分を引用する。以下の回答では私はファクトチェックをしてない。必要に応じてファクトチェックをお願いします。)

(後略)

(*)浅野伸一「加納の地勢 中山道の成立と加納宿 加納の気候」、令和7年10月25日、中山道加納宿文化保存会「加納の歴史オープン講座 我が町加納の400年」第1回.