このブログの名前の改訂について。
これまでの名称「加納城ブログ」を改訂し、「加納城と岐阜・加納」ブログと命名しようと思う。なぜなら話題は、加納城を中心としつつも、「岐阜市」の「加納」全体の地質・地理や歴史・文化の話にまで、広がるからである。
加納城の再建のためには、これらの全部が関わる。その上で地域社会、学校教育、社会教育、地域経済、地方政治に至るまで、広く関係すると考えられる。
すでに話題は加納城だけに特化しているわけではない。今後は地質・地理や歴史・文化についても触れたい。
ここで触れる歴史というのは、地質年代にまで広がる。加納の地質・地理の理解には歴史年代の前、実は2億年前からの理解が必要である。地理的にも、特に奥平家は全国に広がる。今後は海外にも広がる事になると思う。
「地質・地理と歴史・文化」に加えて今後は社会、教育、経済、政治についても言及するかもしれない。『加納町史』や『岐阜市史』のような郷土史の本を見れば分かるが、郷土史という分野が扱う内容は、ありとあらゆることを内包する。
加納には「加納の生き字引」と呼ばれた人たちが、何名かおられる。私が知っているのはまず、佐藤哲雄さん。『加納天満宮誌』を編集執筆された。その前だと『加納町史』の著者、太田成和(しげかず)さん。最近だと『岐阜は名古屋の植民地!?』の著者、松尾一(いち)さん。加納を含む美濃國が広く関連する多数の古文書研究で知られる歴史家の田中豊先生。また加納藩士の日記『田辺家三代記―加納藩下級武士の日記を読む』の著者、西村覺良先生、そして高校の歴史教師、浅野伸一先生らである。
私としては、こうした先哲、先人の書き物を参照しつつも、そこには書かれていないであろうことも含めて、このブログに書き留めておきたい。
